野良里蔵狸 -norakura-

tanukurのブログ。不定期更新(´・ω・`)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ドミニカ移民訴訟から見えるもの

  ドミニカ移民訴訟が結審 来日の原告「祖国とは…」 【朝日】10/17

 ドミニカ移民訴訟が昨日結審したらしい。判決は来年春頃とか。ドミニカ移民訴訟自体、TVで報道を見るまで実態を知らなかったが本当にひどい話だ。外務省の無責任ぶりが浮き彫りになっている。ただ、報道されていることが全てではないことも調べていくうちにわかった。


 新聞報道からこの訴訟を追ってみる。
 1956年「カリブ海の楽園」というキャッチフレーズで日本政府がドミニカへ二移民を募集した。当時は日本の人口増加が懸念され、移民が国策の一つになっていた。その内容は、

  ・最大18ヘクタール(300m×600m規模)の優良農地を無償譲渡.

 これに応募が殺到。1959年9月までに約250家族1,300人が移住したが、そこは「楽園」ではなく「地獄」だった。

  ・土地は石ころが多く、乾燥した荒れ地.
  ・与えられた土地は 1/3?半分程度. しかも所有権がない国営地.
  ・監督官がおり、作物は搾取される農奴のような生活.

 日本政府に騙された格好だ。移住者が何度も政府に謝罪と補償を求めたが相手にされず、2000年提訴に踏み切り、昨日ようやく結審まで進んだが、外務省は「ドミニカ共和国政府が企画し入植させただけで、日本政府への賠償請求は成立しない」と反論している。

 個人的には現地調査をろくしないで、ドミニカ共和国政府の企画をそのまま広報した外務省の責任は重いと言わざるを得ない。このまま政府に賠償がないなら、誰も外務省など信用しなくなるのではないだろうか。
 また、一つ気になるのは「ドミニカ」でニュース検索しても大手新聞社では朝日新聞しかない点。(いい悪いにしろ)人権問題にうるさい朝日新聞が取り上げるのはわかるが、ネット内で他の大手新聞社が全く取り上げないのはどうかと思う。今日まで気づかなかったのはこのせいかな?とも思ってしまった。

 さて、新聞からはこれくらいにしてドミニカ移民に関して何かサイトはないかと探していたら、興味深いものが 2つ見つかった。

  ドミニカ日本人移民裁判支援基金

 原告側を代表するサイトで基金を募っている。ここには報道されている移住者の苦労の他に「多額の借金」というキーワードが追加されている。
 ここによれば、生活の基盤になる土地を購入するため多額の借金を行い、高違約金利に加えて、1985年から採用された変動相場制で借金が4?5倍に膨張。さらに債務が次の世代に渡りサラ金地獄さながらの借金に苦しんでいるとある。1,000万円を超える多額債務者が相当数いるらしい。
 原告側が法廷でいった「国側は時効を主張するが、消えてしまったのは日本政府の良心と罪の意識だけだ。入植以来49年間の移住者の苦しみや心の傷に時効はない」に重みが増す。

 ただ、一つ気がかりなのが政治家たち。顧問に古賀誠(自民)や鳩山由紀夫(民主)を据え、2003年7月に超党派の国会議員60名により「ドミニカ移住者問題解決を進める超党派国会議員懇談会」を発足している。ある意味、国を相手にする裁判は国会議員をつけないとまともに戦えないのか? と考えさせられた。
 また、借金苦といいながら、ドミニカから20名も来日してしまうのはちょっとどうかと思ってしまった。

 以上は原告視点のサイトだが、もう一つ、実際に移民現場に行った人が書いていたサイトがあった。

  ドミニカの日本移民 【窓からカリブが見える】

 2000年夏にドミニカに2年間滞在し、8つの移住地を訪れている。ここを読むとドミニカ移民訴訟とはまた違う、移民の実態がわかる。特に移民当時のドミニカ情勢や、移民達が実際にどのような末路を辿ったのかが、冷静に「事実」を記載しているのは非常に感服した。

 当時のドミニカ情勢は非常に緊迫していたらしく、次の記載が目をひいた。

 当時はハヒチとの国境地帯はハヒチ人の進入を防ぐ目的でいわば屯田兵のような構想の下に、当時のトルヒリョ元帥(後に大統領)がヨーロッパ及び日本の移民の導入を図ったのです。スペイン人、ユダヤ人、ハンガリア人そして日本人です。
  どうしてカリブ海の国々は独裁者が多いのでしょう。1953年7月26日の革命以降の混乱では、とうとうトルヒリョは57年12月には同じ独裁者の隣国ハヒチのデユバリエ政権と、カストロ政権への共同対抗の名目で結託して反共同盟宣言まで行っていたのです。
  下記の日本人入植者が導入された1957年という年号との整合性についてまず私達は考えなくてはならないと思います。

 非常に危険なのがよくわかる。事実、1961年大統領暗殺により、国内は極度の政情、経済不安に陥り、日本人移住者に対する迫害も行われ、集団帰国も実施されている。
 少なくとも外務省はいかに危険な場所かは把握していると思う。いや、把握してなければよほど無能だろう。第159回国会 衆議院 外務委員会には「募集要項の作成者が外務省であったか海協連であったかということは争点になっているんですけれども」という一文がある。海協連とは外務省外郭団体「日本海外協会連合会」(現:国際協力事業団)であり、当時の腐敗ぶりはにもなっている。ちなみにこの著者はドミニカ移民訴訟の第17回口頭弁論で証人尋問にたっていた。
 当時の海協連の動きを見ると、国民を売ってないか?とさえ思えてしまう。

 もう一つ目を引いたのは、マスメディアの取材姿勢だ。

岩だらけの畑に車を止めました。ある時日本からきたテレビ局がその岩山ばかりを撮影して、豊かな畑は無視して苦労話しばかりを聞きだそうとする姿勢に「思わず息がつかえたヨ」と語る老人の表情に打たれました。

 たしかに今朝のTVではドミニカ移民の悲惨さばかりで、肥沃な土地など1つも出なかった。しかし、このホームページを見ると農場経営を成功させた人達が多くおり、過酷な条件ながら頑張り抜いたんだぁと感動した。
 中には「混乱したカリブ海の政治、十分な予備調査のなかった我が国の移住政策などが重なって移民達は行き詰まってしまった。我が家は長男、長女一家を帰国させましたが、自分たちは帰国するしょうとは一度も思いませんでした。こんなに気候によい畑でガイジンを使って仕事をさせてもらうことなど故国にいた時は思いもしませんでしから。今ではここに住んで良かったと女房と二人でそう思っています(一部編集)」という声もある。
 ???。監督官は?永住権は?なんで使用人が?。原告側の言い分と違和感があり、ちょっと報道や原告の内容を鵜呑みにはできなくなった。

 マスメディアの偏向報道に、政治家達に寄付金。なんか胡散臭く感じてしまった。来日した20人が「サントドミンゴ市在住で」とあることから開拓を放棄した人達というのは簡単に想像できる。もっとも、無責任な外務省のせいで彼らが想像もつかない「苦痛を受けた事実」を否定する気は全くない。
 しかし、そういう中でも移住を成功させた人達もおり、これが半ば隠蔽されているのは問題だろう。このような過酷な環境でも移民を成功させたノウハウは非常に重要な資産だと思うのだが。
 彼らと原告達との違いは何なのか。そこが非常に気になってしまった。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://tanukur.blog8.fc2.com/tb.php/329-d1f4b8a5

FC2Ad


アクセス解析

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。